Category: 外の道
6月 29
台本 外の道 4場
台本 外の道 4場
■4
芽衣は寺泊の隣にきて、そこはかとない不安を共有する。
芽衣 あの暗闇が、部屋の中で大きくなっていくような、そんな気がするんです。
寺泊 ええ。
芽衣 暗闇というのはあれですよ、ダンボールに入っていた、あれです。
寺泊 無ですね。
芽衣 そう、それをイメージするとどうしても、暗闇みたいな、黒い塊を想像してしまう。
寺泊 部屋の片隅に現れた小さなブラックホールのような。
芽衣 まさにそうです。
寺泊 まぁ、無を見えるものとして想像することは出来ませんからね。
芽衣 ええ。
寺泊はどこかへ向かう。
芽衣 どちらへ?
寺泊 少し休もうと。
芽衣は仕方なく、一人で続きを語り始める。
芽衣 夜電気を消す。すると暗闇の中に気配を感じ、明かりを点ける。クローゼットの前に不自然な、光の届かない漆黒の塊が見えます。
部屋の重力が増すような、音がする。
芽衣 私はベッドから出て、恐る恐る近づいて手を伸ばすと、消えてしまう(虚空を手で掻き分けるが、手応えはない)。……弟を呼ぼうと思いましたがやめました。彼はこの手のことを信じるタイプではないからです。
士郎 相談してくれたら良かったのに。
芽衣 暗闇は日に日に大きくなりました。電気を消す、気配を感じる、電気を点けると、現れる、という手順は変わりません。部屋の半分を覆うようになった暗闇を、私はこう(両手を大きく左右に振って)煙を払うように、散れ、散れ、とやって、世界に光を取り戻すのです。ふう。
洋子 扇風機を首振りでつけておけば――
島 いや、実際の煙とは違うと思うんで換気の問題じゃ(芽衣の視線を感じ、はっとして)――すいません。
芽衣 (気を取り直し)そう、暗闇が――
寺泊 無が、世界を覆おうとしているのですね。
芽衣 はい、私の寝室ですけど。
寺泊 そこも世界の一部です。
芽衣 そしてその日もまた、同じように私は電気を消す。
芽衣は電気を消す。暗転。
芽衣 暗闇の中、気配を感じる。
寺泊 そこに無が在ると、感じるわけですね。
芽衣 あ私に言わせて。
寺泊 あすいません。
芽衣 ごめんね。……そう、暗闇の中、私はその気配に耐えきれず、再び電気を点ける。(とスイッチを入れるが暗闇のまま)……あれ、あれ? 点かない。なんで? なんで?(とスイッチのオンオフを繰り返す)……もう分かりますよね。電気は点いていたのです。でもこの部屋全体を、暗闇が覆っていたのです。
寺泊 このままでは無に取り込まれてしまう――
芽衣 そうです。私は慌てて、体を、大きく、振り動かしたのです。
寺泊 (小声で)闇よ、去れ。光を、もっと光を。嗚呼、神よ。光を……
ゆっくりと光が戻ってくる。芽衣が上半身を大きく振り回している。
闇を追い払うと、芽衣の部屋に、三太が座っている。傍らにはダンボール箱もある。
芽衣 ふー、今日はなかなかの大仕事だったわ。
芽衣は三太に気づく。
芽衣 え? 誰?
三太は会釈する。
芽衣 え? ここで何してるの? 誰? ちょ、え? 動かないで! 動かないで。……け、警察呼びますからね。これはもう、しょうがない。呼ばれてもしょうがない。
芽衣はスマホを探すが見当たらない。
三太 怪しい者ではありません。
芽衣 怪しい者ですよ。こんな時間に突然、……居たら。何してんの人んちで。
三太 すいません。
三太は部屋を見渡す。
芽衣 どっから入ってきたの?
三太 始めからここにいました。
芽衣 はあ?
三太 おら、始めからここに。
芽衣 何言ってんの。
三太が立ち上がろうとする。
芽衣 動かないで。それはなに?(ダンボール箱を指す)
三太 これは、私物です。
芽衣 私物!? なに私物持ち込んでんのよ。それも結構な量の(三太が箱に手をかけるので)いいいいい、見せなくていい、見せなくていい。
三太は仕方なく、大人しくする。
芽衣 ていうかあの、誰なの?
三太 おら、三太だ。
芽衣 帰りなさい。今すぐ帰りなさい。
三太 でも、他に行く場所がねぇだよ。
芽衣 私物を持って今すぐここを出ていくのよ。
三太 いやだ。ここがおらの家だ。
芽衣 なんて図々しい。力ずくで放り出したっていいんだよ。士郎! 士郎! ……屈強な弟がいるんだけど、今日はまだ帰ってきてないようだわ。命拾いしたわね。OK。いいでしょう、いいでしょう。じゃあはい、私が出て行きます。すぐに警察が来るからね、好きなだけここにいたらいいよ。
芽衣は三太を残して部屋を出る。玄関前で、落ち着こうと息を整える。
芽衣 ふう。
士郎 悪かったね、この日は。スポーツクラブの生徒さんで、仲のいい奥さんがいてね、二人で温泉宿に行っていたんだ。
芽衣 そう。いいのよ。すぐに警察が来たから……(中を気にしながら)いつまでやってんのよ。
芽衣は寝室へ戻る。寝室では警察官(島と由香里が演じる)が三太を囲み、身分証を確認している。
芽衣 あの、取り調べは警察署でやってもらえますか。私にも生活があるんで。
島 はい、それがぁ、その、山鳥さんは、この方に見覚えが無い、わけですよね?
芽衣 無いですよ。
島 んー。(困る)
由香里 こちらの方、身分証を確認させていただいたんですけど、住所はこちらで間違えないんですね。
芽衣 え?
由香里 そうなんですよ。
島 もっかい保険証、いいかな? (三太から保険証を受け取り)これなんですけど(芽衣に見せる)、お名前は山鳥、三太。住所もこちらで、山鳥芽衣さんはあなたですよね、あなたの扶養に入っています。
芽衣は保険証を島の手から奪い、まじまじと見る。
芽衣 山鳥、三太。(三太を見る)
島 ……あなたの、お子さんでは?
芽衣 いやいやいやいや、子供産んでないです。
由香里 (芽衣を指し、三太に)お母さん、なのかな?
三太 はい。
芽衣 はい? よく言ったもんだね、そんな大嘘。あ、偽造だ、それ偽造だ。公文書偽造は一年以上十年以下の懲役。ね。あんたの居場所はここじゃない、ブタ箱だ。行け。
島 経験上、偽造には見えませんけどねぇ。確かなことは言えませんが。(と芽衣の手から保険証を受け取る)
芽衣 私、子供いませんから! 何かの間違いですこれは。絶対。ありえない。
島と由香里は困る。
芽衣 連れていってください。
島 それもちょっと出来ないんですよね、この状況ですと。
芽衣 なんで?
島 理由がありませんから。
芽衣 不法侵入でしょ。
島 ご家族ですよね。
芽衣 違う違う違う。違う。知らない人だから。
島 んー、そっかー。困ったねぇ。
と島は三太を見る。三太も同意するように困った表情をする。
芽衣 なんであんたが困ったなーみたいな顔してんのよ。
由香里 (三太に)ひょっとしてあれかな。今日のお母さん、ちょっと変なのかな?
三太 そうかもしれません。
島と由香里は芽衣を見る。
芽衣 ……はあ?
島 すいませんあの、ご自分の年齢と、今日、何年の何月何日か、言ってもらえますか?
芽衣 ちょっと待ってください。ちょっと待ってくださいそれは。
島 言えませんか?
芽衣 言える言える、言えるけど。言いたくないそんなこと。違うから。
島 念の為です。
芽衣 失礼でしょ。
島 ご自分では分からないこともありますから。
芽衣 もういいもういい。はい。帰ってください。
島と由香里は顔を見合わせる。
島 ですが――
芽衣 帰ってください。
島 ……分かりました。
由香里 (三太に)何かあったらすぐ連絡してね。
芽衣 そっちじゃねーだろ。
島 では、失礼します。
島と由香里は帰る。
芽衣は頭を抱える。
三太 大丈夫ですか?
芽衣 静かにして。
三太は芽衣を気にしながら、三太は芽衣を気にしながら、私物の整理を始める。(5場につづく)